本文へ

丸谷 嘉長は切ないのか?  インタビュー&文  --  唐澤和也

「死」なのか「生」なのかはともかく、被写体からそれらを感じとり、しかも人間の悲喜劇を嫌いじゃないということは、いわゆる「人嫌い」ではないということですよね。

嫌いじゃないです。というのも、「あれ? 俺、意外と人間が嫌いじゃないぞ」と感じたことがあって、気づいたら僕、人の癖をよく観察してるんですよ。それは、その癖をネタにしてからかってやろうとかじゃなく、「可笑しい人だなぁ」とか「愛らしいなぁ」とか思っているんですよね。ってことは、俺は人間が嫌いじゃないぞって。それに、たぶんだけど、コンプレッックスが好きなんだと思う。完璧な人間よりも、なにかしらの弱点だったり、ある部分への苦手意識を持つ人のほうが魅力的だと感じるから。まぁ、そんなことに気づけたのは、つい最近で、ここ3、4年の話なんですけど(笑)。あと、人間嫌いか否かの話とつながるかわからないですけど、僕がボスから学んだ一番大きなことって、「被写体との距離感」なんです。たとえば僕のボスが、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーを撮影したとする。あれだけの人物を撮影する場合、寄りたくなるもんなんです、ふつうは。でも、ボスは寄らない。寄らないなにかがある。寄ってしまったら終わりじゃないかとさえ思っていたはずなんです。その「被写体との距離感」を、僕もまっすぐに受け継いでいて。それはカメラのレンズのミリ数がどうのという単純な話だけじゃない。実際、ボスが良く使っていたレンズはライカの50ミリで、僕はペンタックスの105ミリと違うわけだしね。そうじゃなくて、なんて言うのかな、コミュニケーションも含めた「被写体との距離感」が、決してカジュアルなそれではないと言うか。我ながら「それでよくカメラマンとしてやってこれたな」と思うんですけど、10年ぐらい前まで、被写体に撮影主旨を説明することもなかったですから。「きっとわかってくれるはずだ」と、なぜか思い込んでいて。ただ、その距離感を大切にしてきたからこそ、今の自分があるとは思う。その一方で、今までの距離感をぶち壊したらどうなっちゃうんだろうという願望も芽生えてきているんです。まぁ、「あれ? 俺、意外と人間が嫌いじゃないぞ」と気づけた、3、4年前から、そんなことも考え始めているんですけどね。

ph03

そんな丸谷さんが、カメラマンとしての幸せを一番感じる瞬間はいつでしょう?

楽になるのは撮ったあとだけど、どうなんだろうなぁ。打ち合わせや撮影前に考えている時は不安だし、一番苦手なのは被写体と対峙している時だし。だけど、もしかしたら、対峙している時が一番幸せなのかもしれない。ロケバスから被写体が降りてくる。そんなの今までに何度も経験してきたことなのに、なぜか新しいなにかを見つけられるような予感がいまだにあって。スタジオで撮影している時も、イメージ的な話になっちゃうけど、スタジオの床に同化しているようなヒタッとそこに存在できてる感覚があって、自分がその場所にいる不思議さもない。だから、被写体と対峙している瞬間が一番幸せですね。

最後の質問です。他者との比較ではなく、丸谷さんが自分のなかで一番誇れるカメラマンとしての才能はなんでしょう?

……写真の力を信じていること。昔、ある雑誌の表紙撮影を担当していたんですけど、地方ロケに行った時、その雑誌の僕の写真をバサっと切り抜いて壁にピンで止めて飾ってくれてる若い子がいて。それを見た時に、「やっぱり写真の力ってすごいんだなぁ」と思ったことがあって、その思いは今でも変わっていないんです。これは、自分の写真だったからって話じゃなく、僕自身、他のカメラマンが撮った写真でなにかの力をもらうことがありますからね。映画でもなければ舞台でもなく、ドラマでもなければインターネットの情報でもない、写真だけの力。僕は、写真の力だけは信じているし、信じられなくなったらカメラマンをやめる時だと思う。とか言って、プロのカメラマンをやめるだけで、写真は死ぬまで撮り続けると思いますけどね(笑)。


Copyright(c) Marutani 2000 All Rights Reserved.